PML Riichi Mahjong Invitational 2025

大阪でノーレートの健康麻雀・麻雀教室・麻雀大会に参加するなら【豊中の健康マージャン】 コラム

はじめに

 事の発端は、もはやどこから遡ればよいのやら。細い記憶の糸を手繰り寄せてみると、少なくとも2年以上前のことになる。
 当店は日本屈指の大学のひとつ──大阪大学に近い立地とあって、大阪大学に勤務されている海外の教授たちがたまに店舗に訪れてくれることがあった。もちろん、日本の大学にお勤めされているだけあり、みな日本語は堪能な方々ばかりである。しかし、「日本語で麻雀をする」となると、やはり難易度が上がるのは当然のこと。それに、店に訪れるのは何も先生たちだけではない。稀に海外からの旅行者が「オンラインゲームでしかプレイしたことのない麻雀を実際に体験できるかもしれない」という好奇心から当店にやってくる。まだコロナ前だった。オンラインゲームの名前として挙げられることが多かったのは、雀魂より天鳳やFF14の方が多かった時期だ。そんな彼らのために、私は必然的に英語の勉強を再開することになる。
 再開──というのも、私の卒業した大学は外国語系大学なのだ。オーストラリアへの留学経験もある。あれから約15年、英語を使う機会など国内では二度とないと思っていた。が、しかし、英語圏のお客様が増えるとなれば、使わないわけにもいかない。親のすねをかじり倒して堪能した遊学生活を、今こそ何らかの形で社会に還元するチャンスである。
 そして今から二年前、2023年の春にその日はやってくる。ひとりのアメリカ人の男性が当店にやってきたのだ。彼こそ、PML Invitational 2025に到るまでのキーマンなのだが、もちろんこの時の私が知る由などない。麻雀教室にはじめて参加した彼は、さらにその2日後にやってきて、フリーとランキング戦の両方に参加し、ほぼ丸一日当店で過ごしてくれた。良かった。また一人、海外からのお客様に麻雀の楽しみを普及できた。そんな思いで彼を見送った次の年の新年、彼は数名の友人たちと当店を再び訪れてくれた。ありがたい。本当にありがたい。しかし驚くべきことに、彼の紹介はこれにて終わらなかった。同年の9月に別の友人グループと再度訪れた後、彼の紹介により当店に足を運んでくれる訪日外国人が増えたのだ。
 さてここで、少しばかり私の気持ちを想像してほしい。当店に対する彼の熱意溢れる行動の全てに最大限感謝した上で、それでもなお問いたいのだ。

 ──マジで?

 誰しも、海外からのお客様は「二度は来ない」──そう思うのが普通だろう。世界中に素晴らしい場所はいくらでもある。短い人生の中で、色んな場所に行ってみたくなるのが普通だろう。にも関わらず、極東の、首都でもない、さらには市の中心から離れた、いつかのお客様の言葉を借りるならば「エアーポケットみたいな町」にある何の変哲もない小さな雀荘に、彼は足繁く友人と来てくれたのだ。「また行きます」という約束を、どこまでも誠実に有言実行したのである。彼に対する私の信頼感がどれほど深いものかなど、もはや説明する必要などないだろう。
 そんな彼や、彼の友人たちと季節の挨拶を交わす程度の親密さになっていた頃、今年2025年1月、私の誕生日(と思っていたのだが、実際に確認したらその翌日だった)にとんでもない知らせがくる。これこそ、当記事の本題である「PML Riichi Mahjong Invitational 2025」だ。スペシャルゲストとして私を招待したいというのだ。彼の並々ならぬ恩に報いるには、私が直接アメリカへ行くしかない。私は二つ返事で承諾した。すると、彼は現地アメリカでたしかにこう言った。

 「本当に来るとは思わなかった」
 
 ──それだよ……! 私が君に感じてた気持ちはまさにそれだよ……っ!!

 さて、前置きが長くなったが、いよいよ本題に入ろう。

準備と不安

 この招待のオファーを受けた瞬間、私は大変浮かれており、「どうせサンフランシスコまで行くならロサンゼルスのLAPONさんまで行きたいな~(。・ω・。)」などと、日本でいえば「どうせ北海道に行くんだし、小樽も釧路もまとめて一緒に行きたいよね~(。・ω・。)」みたいなノリで、無謀極まりないことを考えていた。しかし、何にせよ初めてのことだらけである。現実問題、このプランが可能かどうかを現地民に確認してもらった結果、この案をすぐさま却下した。子供の頃に両親にグアムに連れて行ってもらったことはあったが、アメリカ本土は初めてのことである。しかも単身で、全てを自力で手配して行くことになる。とにかく無理は禁物である。
 大丈夫だろうか、という不安はあったものの、航空機のチケットやホテルの予約はパソコンとスマホだけで完結してしまった。なんと簡単な世界になったものだ。世界各国、どこもかしこも旅行者で埋まるのも頷ける。日本とサンフランシスコの時差は17時間。昔であれば、この時差を考慮した上で旅行代理店のスタッフが現地の宿泊施設に連絡して、スケジュール調整などが必要だった。何だったら、私は過去オーストラリアで宿の予約ミスを一度やらかしている。本土から離れたモートン島より必死に日本の代理店に必死に電話したトラウマなど、今の世では感じることすらない。全てスマホが自動で行ってくれてしまう。大変楽である。アメリカへの渡航情報も、今はYoutuberたちが全部教えてくれる。大変便利である。結果、私の中に残った懸念材料は2つだけ。「語力」と「何をどこまで自分で手配すればいいのか」ということであった。

英語学習のこと

 2024年9月に、キーマンたる彼が友人を連れて当店に来てくれた時のことである。彼の友人のひとりが「サンフランシスコには日本人がたくさんいますよ」という言葉に対して、私は「いつか行ってみたいね」と言葉を返した。その瞬間から、私の中には漠然と「いつかサンフランシスコに行く」という目標が定まった。その証拠に、私のメモのひとつには日々の英語勉強スケジュールが書かれたものがあり、開始年月日は2024/9/3である。単語帳と、文法書と、音読を3セットとして、店内でこなす私の姿を見かけたお客様もいることだろう。しかしまさか、こんなに早く行くことになるとは思いもよらなかった。「早くても2年後くらいかな~」などと悠長に構えていたのだが、そうもいかなくなってしまった。
 1月にオファーを受けてから4月の招待試合まで残り3か月弱。学習の過程で、必然的にYoutubeをたくさん見ることになった。動画を見る度に、自分が利用している文法書の不自然な点が明らかになっていく。この部分は、「文法としての精密さ」と「実際に文化の中で使用されている言語の崩れ」であり、言語が言語である以上、どの国の言語であろうと逃れることはできない難しさであろう。
 今でも学習に利用しているチャンネルを、私の感謝と共に列挙しておくことにする。

 このチャンネルを、どれかひとつでも実際に確認した人は気付いただろう。そう。面白すぎて勉強にならない。面白かったことだけが記憶に残る
 ……まあ、言語学習における一番の敵は、苦痛や飽きが来ることだから、私のチョイスは間違っていないはずだ。

何をどこまで自分で手配すればいいのか

 店休日は水曜日だけ。つまり、私がじっくり旅程について考え、準備することができるのは、出国までわずか10日のみ。ESTA、TASロック付きスーツケース、現地の季節ならびに服装、大会会場、大会ルール、会場近くのホテルのレビューと価格、フライトのスケジュールの調整、通貨の両替、クレジットカードの準備、えとせとらえとせとら。この辺りは自分でできるので何も問題はない。問題は、現地についてからの移動手段と食事である。なんにせよ、英語で全てを行わなくてはならないのだ。自分でしなければならないのであれば、あらかじめ心の準備は整えておきたいと思うのは当然だろう。

 「たとえ些細なことであったとしても、何かあったら教えてください。きっと私の心配を解消してくれるはずだから」

 私はメールで彼にこう告げた。これがいけなかったのだと思う。曖昧すぎた。
 彼は3つのことを教えてくれた。一つ、JCBは使えない。一つ、クレカを使う前提で100ドルくらいの現金が望ましいこと。一つ、18%のチップがかかること。

 ──知ってる……っ! そこじゃねぇのよ……っ!!

 彼は何も悪くない。彼は最大限、日本人である私の立場に歩み寄った上で返信してくれたのだ。(すっごい円安だしね!)まあチップが18%まで上がっていることには多少ビビったし、経費に関しては私の抱えている懸念のひとつではあるけれども、一番大きい部分はそこではない。
 有難いことに、空港を降りてから彼が迎えに来てくれるという。しかし、その時点での決定事項がそれだけだったのだ。ホテルから会場に行く時とか、食事をして帰る時とか、そういうことがまるで不明のままなのである。

 「やよい先生、ゲストですよ。大丈夫ですって。現地の方に全て任せておけば(^_^)」

 りちお先生やお客様方はそう仰ってくださる。そうです。私もそう信じたい。でもね、これは私のゲーマーとしての脳の悪い癖なのです。定義されていないことは、その成否をどうしても確認したくなる
 たとえば、ゲーム内で火炎放射器を武器としてゲットしたとしよう。そしてゲーム画面の説明に、「この火炎放射器は敵キャラクターに対して有効です」と表示されたとしよう。私は何をするか? まずフィールドや壁に向けて火炎放射器を放ち、敵キャラクター以外にも有効かどうかを確認する
 しかし今回のケース、確認することが憚られた。理由は、私がゲストだからだ。現地の方々は間違いなく私のために様々なことを手厚く準備してくれていることだろう。質問すること、それ自体がもはや相当失礼だ。私の些末且つくだらない質問で、この稀有な友情が壊れることなどあってはならない。
 それでもたった一つだけ確認しなければならないのは、帰り道である。無事に日本に帰りさえできれば、道中何があろうと美しい思い出として昇華させることができよう。しかし前述記載したとおり、「質問することさえ失礼な状況」に陥っている。2週間悩んだ挙句、限りなく遠回りに質問し、さぞ相手方を苛つかせたであろうことをこの場を借りてお詫びしたい。

 交通の便以外にも、不安はまだあった。実は近年、日本人が入国審査で弾かれる比率が上がっているという噂を耳にしたのだ。もちろん旅行先にもよるだろうが、万が一、入国審査の受け答えで失敗して別室行きになったら、せっかく迎えに来てくれている彼らに無駄足を踏ませてしまう。スマホは使えなくなるだろうし、どれだけ拘束されるかもわからない。サンフランシスコには16:00に到着する予定だが、待機時間が明らかに長すぎると感じた場合は引き返すように念のために彼に告げておいた。

出発

 そしていよいよ、出発当日である。朝5時に起きて、関西国際空港へ向かう。いつもは開店ギリギリまで、可能な限り惰眠を貪るこの私が朝5時起きである。何だったら、今回の旅路の中で最も緊張が走った瞬間かもしれない。麻雀大会でどれだけ箱ラスを喰らおうが、麻雀大会0回戦目の敗退(欠席ならびに遅刻)に比べれば可愛いものである。梅田から関空まで快速で一本。自宅から乗り換えが一回で済むのは、これまた楽なことの一つだった。関空快速の中で、ホテルの事前チェックインをスマホで完了させた。フライトのチェックインも、前日にスマホで完了させた。文明の利器さまさまである。
 空港についてからスーツケースを預け、フライトチケットを受け取り、りちお先生に買ってもらったジュースを飲みほして、保安検査場の入り口ゲートを通過する。ふと、オーストラリアへ留学したその初日のことを思い出した。帰国後に知ったことだが、あの日私を見送りにきた両親が「振り向いてくれると思ったのに、そのまま通り過ぎよって」と、ちょっとお怒りだったらしい。そして今回も、私はりちお先生を振り返らずに旅立ってしまった。仕方がない。旅は寂しさより好奇心が勝るのだ。

 搭乗口の場所を確認した後、免税店を巡りながら時間を潰す。お食事処にお茶漬け専門店があるところなどが日本っぽい。他には化粧品やたばこ、ブランドショップが立ち並ぶが、元より物欲低めの私である。すぐに飽きてしまってソファに座り込む。隣のアジア系大家族が、一番小さい子供を楽しませようと、あちらこちらにバタバタと動き回っては燥いでいる。微笑ましい。
 搭乗時間になり、切符とパスポート片手に乗客の列に混ざる。ついつい他の人のパスポートを見てしまう。深緑色のパスポート、綺麗だな。ロゴもかっこいい。添乗員さんの誘導に従うまま、EVA Airlineの飛行機に乗り込む。台北までは二時間弱。台北を経由してサンフランシスコへ向かうことになる。一度アメリカとは逆方向へ飛ぶため、かなりの長時間飛行だ。そのためなのかはわからないが、この便がお手頃価格で手に入った。
 二列シート窓際の席を取ったのだが、隣には誰も座らなかった。そもそも、あまり人が乗っていないように見える。しかし離陸の準備が着々と進んでいく。そろそろ電波も届かなくなるだろう。
 その時である──

 「ごめん! 最後にちょっとした質問なんだけど、どのフライトに乗るの? 運行状況を確認したくて」

 ──今か……それを確認するのが今この瞬間なのか……っ!

 それは昨日までのうちに確認できただろうと、思いながら、しかし四の五の言ってはいられない。急いで返事を打つことに。なんだか画像らしきものを受信したが、うまく表示されない。こちらも試しにフライトチケットの写真を送信してみたが、もはや画像を送受信できるほどの強い電波が残っていないようだ。チケットを確認しながら、最低必要事項だけ入力する。頼む。間に合ってくれ私の入力スピード! 間に合ってくれ電波──!!

 こうして、紆余曲折ありつつも、無事に私は日本の地を離れたのである。

台北からサンフランシスコまで

 台北行きの飛行機に乗ってから三十分後に、早速機内食が出た。二時間弱のフライトなので機内食はないものだと思っており、台北に着いてから美味いルーローハンでも食べようかと思っていた計画は早くも破綻する。少し残念ではあるが、食事代を節約できるのは良いことだ。

今回の旅路の最初の機内食である。何が出てくるのかなぁとわくわくしつつ蓋を開けると、カツカレーでしたᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟワーイ
しかも結構おいしい。

 食後を見計らって、添乗員さんがドリンクを勧めてくれる。イケメンや。イケメンがおる。でもどうしよう……中国語まったくわからん。英語で「お茶を頂けますか」と頼んでみる。すると少し驚いた顔をされたのだが、どれに対する驚きなのだろうか。私が中国語話者ではなかったことか、それともお茶を頼んだことだろうか。(見たところ、ワゴンにはジュース類しかなかったようなので)
 添乗員さんは「少しお待ちください」と席を離れると、数分後に温かいお茶を持ってきてくれた。うわ、めっちゃ嬉しい! 冷たいのでもしょうがないと思っていたところに、待望の温かいお茶! どうやら、わざわざ淹れてくれた感じもある。渡すときに「気を付けて」と声までかけてくださった。
 それだけではない。私がお手洗いに行こうとした時のことである。通路には二つのお手洗いがあった。そのうち片方の、早く空いた方から使おうと思ったのだが、同じ添乗員さんが「こちらをどうぞ」ともう一方のお手洗いを勧めてくれた。中に入ってみると、化粧台がある方だった。おそらく私がポーチを持っていたので、気を使ってくださったのだろう。なんて素晴らしい接客サービスなんだ……。
 台北からサンフランシスコ行きの便までは6時間の待ち時間がある。その待ち時間がなんだ。こんな素晴らしい接客の前では無に等しい。次があるなら、またEVA airlineを利用しよう。感激しながら、私は生まれてはじめて台湾の地に降り立った。

in 台湾桃園国際空港

 飛行機を降りて、乗り継ぎゲートへ向かう。同じ方向へ向かう二人の日本人男性。彼らは戸惑いながら、乗り継ぎゲートの方へ私より先に入っていった。私はふと立ち止まる。このまま通過するのは簡単だが、一度通過してしまったら6時間この内部で待たなければならないのでは……?
 乗り継ぎゲートの入り口に佇む女性スタッフに話しかける。私のフライトの時間は19:30頃なのです。その間、少し外へ出ても構わないだろうか?──と。厳しい視線の女性スタッフに「台湾を楽しみたいのか」と問われて頷く。それなら来た道を引き返して到着ゲートに行け、と促され、私は一度外に出ることにしたのだった。
 到着ゲートを通過する時、どうやら所持していなくてはいけないカードがあったらしい。検査が必要な持ち物一覧表、みたいな。たしかそんなカードだったはずだ。飛行機を降りた時に出口で受け取っていた人がいたのを覚えている。しかし私は乗り継ぎ組だったのでそのカードを持っておらず、到着ゲート付近の女性スタッフに厳しい目で見られた。彼女はめんどくさそうに私にゲートを通るよう促したが、私からすると「結果的に通過できてしまった」ので、どんな待遇であろうと結果オーライである。むしろ、こんな怪しいタイミングでやってきた私をこんなに易々と通過させていいのか、と思うばかりである。
 さて、台湾の入国管理局である。QRコードで手続きができるとのことだが、wifiが繋がらない。それもそのはず、国際ローミングの利用ボタンをまだ押していなかったからだ。スマホの海外利用について、国内の店舗であらかじめ説明は受けていたものの、あくまでアメリカでの利用に関するものだった。台北での利用は聞いていない。もしここでうっかり利用して、アメリカで使えなくなったら元も子もない。仕方なくQRコードでの申請を諦め、入国許可証を手書きすることにした。
 朝5時に起きて、15年ぶりの飛行機にドキドキしながら降り立った台北(しかも予定にはない形での一時滞在)である。すでに体力・精神的に疲労困憊である。それなのに私はさらに難易度の高いことに挑んで心身ともにすり減らそうとしているのではないだろうか……? 入国許可証の書類を目の前に、もしかしたら6時間おとなしく乗り継ぎを待っていた方が良かったのでは? などと、頭をよぎる。しかしここで来た道を戻れば、今度こそ本当に不審者扱いだろう。腹を括るしかない。疲れた頭で入国許可証の項目をひとつずつ埋めてゆき、言語の全くわからない管理局局員にその紙を提出した。結果、乗り継ぎ用のチケットを持っていたため、一切会話もなくあっさり通過を許可された。そしてパスポートに証印を貰い、晴れて台湾の地に降り立ったのである。

 空港内は広い。6時間の待機時間の良い暇つぶしになるだろう。ありがたいことに、スーツケースはサンフランシスコまで直行とのことで、持ち歩く必要もなかった。軽く喫茶店でお茶を飲んでから、私はのんびりと空港内の散策をはじめた。
 地下1階のフードコートにやってくるも、機内食を食べたばかりなので食欲はない。日本と違う店なので、少し試したい気持ちがあっただけに残念だ。一通り、どんな店があるか確認した後、国内線の受付カウンターがある2階へ。エスカレーターで上へ行く途中、「號」という字が見えた。どうやら「1號」「2號」といった風に、階層を表すユニットらしい。嘘食いの號奪戦でしか見たことのない漢字が、日常生活の中で当たり前のように使われていることに感動を覚える。これは後に、大会2日目で同卓したPopteから教えてもらったことだが、中国が漢字を簡略化していく一方で、台湾は源流の漢字を使い、日本の漢字はその狭間にあるらしい。こういう話を聞けるのも、異文化交流の楽しみのひとつだ。

 チェックインカウンターが並ぶ2階の雰囲気は、どの空港も同じようなものだ。両替所や、ATM、預け荷物を梱包するための機械など、特にこれといって珍しいものはない。インフォメーションの近くに空港全体の案内マップがあったので見てみると、5階にセブンイレブンがある。そこで私はふと、先ほど降りたばかりの機内での出来事を思い出した。
 機内のパネルを操作していると、視聴可能な映画の中に「劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師」があったのだが、イヤホンがなかったのである。おそらく、台北まで二時間弱の飛行だったため、付属されていなかったという可能性が非常に高い。リクエストしたら貰えたかもしれない。次の飛行機は台北からサンフランシスコまで10時間以上のフライトだ。おそらく機内に装備されてあるだろう。いやしかし、もしなかった場合、私は忍たまの映画を見れないことになる。……見たい。めっちゃ見たい。──そうだ! セブンイレブンならイヤホンが売っているかもしれない。というわけで、私は5階のセブンイレブンに向かうことにした。

セブンイレブンの近くにあった台湾桃園国際空港のジオラマ

 5階にはスターバックスの他、飛び立つ飛行機を眺んで楽しむ展望テラスがあった。外に出てみたい気持ちはあったがどうやら受付で何かを記載する必要があるらしく、面倒そうなので諦めて、窓から飛行機が飛び立つのを見るだけに留めた。
 セブンイレブンは、その展望テラス入口のすぐ近く。目的のカナル式イヤホンもすぐに発見できた。しかし、ここで大きな問題に直面する。

 ──いくらだ、これ……??

 台湾の通貨価値がわからないのだ。ドル円はNISAの兼ね合いでほぼ毎日チェックしているが、まず台湾の通貨表示コードさえ知らない。
 これを、手放しで購入していいのか……? 私の中の雀士としての直感が「押すな」と警鐘を鳴らす。……落ち着け私。心を宥めてから、ひとまずセブンイレブンの商品を一通り見物することにした。商品と商品の値を比較すれば、おおよその金額がわかるのではないかと思ったのだ。しかし──

 ……おでんが60、でもさっきのイヤホンが550……??

 いや、たしかに私が見たイヤホンはiphone用のものだったから通常のものより割高だと考えると、なんかおかしくないか……? 私は一度セブンイレブンを出て、隣の薬局へ入った。コスメの値段なら、相場が割り出しやすいだろうと踏んだのである。そこで私はようやく気付いた。ニュー台湾ドルの他に、中国元が混在しているのだ。もちろん国際空港のため、アメリカドルの表記も品物もある。何も通貨が一つとは限らない。日本にいるだけでは味わえない感覚である。商品同士の比較の結果、体感値としてニュー台湾ドルの値に4を掛ければ日本円になるくらいか、と予測を立てた上で、念のためにカナル式イヤホンをゲットして、乗り継ぎゲートへ戻ることにした。

搭乗口付近の書店には、日本の本が多くあって驚いた。小説の棚には、宮部みゆきや東野圭吾など、有名どころのラインナップもあり、日本の雰囲気に非常に似ていた。

いざサンフランシスコへ

 三列シート窓際の席。男性がひとりやってきたが、席をひとつ分空けて座っただけで、私とその男性の間には一人分の空間が空くことになった。圧迫感が少ないため、少し快適だ。運が良い。
 私は靴を脱いで持ってきたスリッパに履き替え、ネックピローを装着してすぐさま睡眠態勢に入る。今寝ておかなければ、現地に着いたら夕方なのだ。またすぐ寝なくてはいけないなら、今すぐ仮眠を取るに限る。

搭乗1時間後に提供されたシーフードパスタ。選ばなかった方はビーフシチューだった気がする。そっちも美味しそうだった。

 さて、仮眠も食事も終えた今、いよいよやる事はひとつ。忍たまの劇場版を見ることである。毛布・イヤホン・枕がワンセットになったEVA airlineのありがたい備品を潤沢に利用させてもらいつつ、いざ鑑賞スタート。
 忍たまといえば、日本における忍者もののパイオニア的存在といって過言ではないだろう。古い作品を辿れば、忍者ハットリ君あずみなど、もちろん名作は多々あれども、1993年のアニメ第一シリーズから今なおシリーズ放送が続いている忍たまの名を知らずして忍者漫画は語れない。忍空NARUTOも、忍たまが開拓した道の上を歩いた名作たちなのだ。故に、日本の女子たちはみな土井先生に初恋を奪われる。カカシ先生の前に土井先生という強敵がいるのだ。
 そんな土井先生が大活躍する劇場版。噂に違わず、めちゃくちゃ格好いい。もちろん主人公たちは一年は組のいつものメンバーだが六年生たちの出番も多く、古参ファンたちの黄色い悲鳴がどこからともなく聞こえる気がする。ストーリーラインはいたってシンプルだ。練習稽古中に川に落ちた土井先生が軽い記憶喪失にかかり、ドクタケ側に拾われて操られていたが、キリ丸との家族愛の前に記憶を取り戻すという、書けば一行で事足りる話だ。そのため、私の気を引いたのは全く別のところにあった。それは字幕である。
 EVA airlineが台湾の航空会社であるため、字幕が中国語と英語の二種類で流れてくるのだ。しかし聞こえる音声は日本語。三か国語が同時に味わえるのだが、この忍たまという作品──舞台設定が室町時代のため、古い言い回しが多い。また、キャラクター名にダジャレを多用するため、それを他言語で表現するのは限界があると感じながら視聴していた。映画オリジナルキャラの昆奈門たちの名前をは組の生徒たちが間違えるところなど、何がどう面白おかしく歪められているのか、理解するのは至難のわざだろう。
 なにわ男子の歌う勇気100%のエンディンテーマを聞きながら、何気なく横を見ると、隣の座席のテーブルが開放されている。誰もいなかったはずの場所に、水が入ったコップが置かれているのだ。私が置いた記憶はないので、無論、通路側の席に座っている男性が置いたものなのだが……

 ……これは明らかにドン引きされている──。

 なんだろうな、こう、さりげなく、距離を取られている気配があるのだ。これ以上オタクが近寄ってくるんじゃねえ。そんな威圧感を感じるのだ……。
 まあ、日本のアニメやゲーム文化に多少知っているというだけで、異国の地ではオタク扱いされると聞いたことがあるし、こういった仕打ちを受けるのも致し方がないと受け入れよう。だが20年来のオタクから言わせれば、海外へ輸出されている有名どころのアニメや漫画だけ知ってオタクを名乗るのはまだ早い!!

二度目の機内食。
ラザニアかグラタンのようなものだったはず。この日はもう何も食べなくてもいいくらい満腹である。

入国審査

 機体が無事にサンフランシスコへ着陸し、乗客が慌ただしく荷物を取り出し始める。私が出られるようになるまでしばらく時間がかかりそうだ。今のうちに、スマホを利用できるようにしておこうと海外ローミングのスイッチをオンにする。すると、怒涛のようにLINEとTwitterのDMが舞い込んでくる。そうか。これが出国ギリギリの時に、うまく表示されなかった謎の画像だったのか。

 到着ゲートまでは一本道。入国審査官たちのその奥に、スーツケースが流れている大きなベルトコンベアーが見える。
 入国審査のために並んでいる人たちは少なかった。パスポートを片手に、どうやら親子で旅行に来たらしいアジア人の女性の後ろに並ぶ。彼女たちは二人で審査官の前に進んだが、姉妹かどうかと聞かれた後、親子だとわかると娘らしき女性の方だけ列に戻るよう促されていた。
 先に審査に入ったお母様の対応を眺める。どうやら英語に関しては、娘さんが頼りのようらしい。その拙さから、審査官もさっさと質問を切り上げ、指紋の採取に入った。ほうほう。指四本と、親指と、別々にスキャンするのか。
 そして私は、眺めていたその審査官の前に案内された。よっしゃ! めっちゃ簡単な質問しかしない人やんラッキー!! そう思っていたのも束の間、

 審査官:「旅の目的は?」
 わたし:「観光です」
 審査官:「何日いるの?」
 わたし:「5日滞在します」
 審査官:「帰りは?」
 わたし:「4月7日に帰ります」
 審査官:「知り合いはいるのか?」
 わたし:「アメリカ人の友人がいます。すでに迎えに来てくれているはずです」

 ここから会話がヒートアップした。

 審査官:「なんでアメリカ人の友人がいるの?」
 わたし:「メールでやり取りをしているので、スマホの画面ならお見せできますが……」
 審査官:「違う。私はあなたに聞いているの」
 わたし:「オーケー。わかりました。説明します。ええと……日本のカフェで主人と働いておりまして、彼らは2年前にやってきたお客様で……」
 審査官:「なんでご主人は今日一緒じゃないの?」
 わたし:「私の代わりに日本で働いてんだよ!!」

 会話終了──。

 指紋を採取の後、手荷物受取場所に向かう。先に並んでいたアジア人のお母様にはあんなに優しかったのに、この差は一体なんなんだ……!! という感情がないわけではなかったが、それよりも無事に難なく通過できたことにホッとしていた。
 スーツケースも、さして時間を要することなく回収することができ、こうしていよいよサンフランシスコでの5日間の幕が開いたのである。

滞在1日目:夕食

 到着ゲートのDoor2から外に出ると、すぐに「やよい先生!」と声がする。私と、私の店の運命を大きく変えることになったキーマン──スティーブンその人である。私の名前を呼ぶときに、英語特有のイントネーションが感じられない。とてもナチュラルな日本語だ。もともと少し日本語ができる彼だが、間違いなくさらに上手くなっている。
 車に乗る前に大きな水のボトルをくれた。ログインボーナスとしてありがたく頂戴した。後に判明することだが、ホテルに着いた時に大変重宝した。こういった配慮に、彼がホテルに宿泊慣れしているのを感じる。
 さて、知っていたこととはいえ左ハンドルである。新鮮だ。車のスピードが速いだろうと聞かれたけれど、曖昧な返事しか返せなかった。なぜなら私の母は生前、大阪から福岡まで6時間程度で車で行ってしまうドライブ狂で、そのスピードを助手席で幾度となく体感してきた身としては、車乗りは皆このようなものなのだろうという偏見が染みついている。
 まずは私の予約したホテルに向かっている。チェックインをして荷物を置いた後、夕食を食べに行くとのこと。だから「どんな食べ物が好きか?」という話になった。好きな食べ物、と言われてもピンとこない。ないわけではないが、これといったこだわりが本当にない。美味しいものなら何でもいい。今まで病みつきになって飲食したものなど、エースコックのあさりバターキリンの力水(旧式)くらいである。どちらもケースで買い込んで一人で食い尽くした。
 それなら嫌いなものは?と聞かれて「うなぎ」と答える。あなごと鱧も似たような分類だが、うなぎよりまだマシだ。とはいえ、どれも出されたら食べるけれども、自分から好んで食べることはしない。そう答えると「美味しいのに!」と返ってくる。うん。日本でもよくやるやり取りだ。まだ日本にいるみたいな気分だ。一方で、食通なスティーブンが挙げる好きな寿司ネタは本当にどれも通好みのものばかりで、美味しいものが好きなことはひしひしと伝わってくる。そして、そういったやり取りをすることで、私をリラックスさせようとしている気遣いもひしひしと伝わってくる。
 彼とは1月の頃から、今イベントに関する連絡のやり取りを行っている。日常生活の合間に時間を割いて行ってくれたのだ。彼だけに特別に土産を用意しようと、ハイチュウ・果汁グミ・コロロの詰め合わせを贈っておいた。Youtuber曰く、アメリカでは日本のソフトキャンディが人気とのことだったから。しかし実際には比較的日本のものが手に入りやすい地域のようで、悩んだ結果諦めた抹茶チョコの方が良かったかもしれないと後悔した。今度はもっと日本でしか手に入らないものを贈ろう。

韓国料理店

 ホテルに荷物を置いた後、今度はスティーブンが予約を取ったホテルに向かう。ここで、私の推測のひとつが確信に変わる。つまり本イベントに参加する人たちは、「車で来れる距離には住んでいない」ので「大会会場の近隣に宿を取っている」という人が大勢いるということなのである。もしくは、車で来れなくはないが、往復時間を考えるとホテルを取った方が無難という距離なのだろう。そう推測したからこそ、できれば予め現地についてからの移動手段を確認しておきたかったのだ。いくら私がゲストとはいえ、ホスト側にあまりにも負担を強いるようなことは避けたかったからだ。とはいえ結局のところ、滞在期間中はホスト側であるPMLの皆様に全てをお任せする形となってしまい、感謝の念に堪えない身であった。

 さて、会話は先ほどの内容に戻る。「夕食に何を食べたいか?」である。しかし前述のとおり、すでに機内食を2食分、食べ終わっている私である。食えるわけがない。色々候補が上がった中で、「まあスープならギリいけるか」ということで、ソルロンタンのお店に決定した。ソルロンタンの発音が良すぎて、最初何のこと言ってるのかわからなかった。
 レストランのテーブルに食事が並ぶ頃には、私とスティーブンを含めて合計5名が集まった。ギャリーとタクシーとイチゴ。皆一様に日本のことに詳しい。日本のリーチ麻雀を嗜んでいるのだから、当然といえば当然なのだろうけれども、まさか最初の話題が「異世界転生もの」になるとは思わなかったぜ。「どれも大概似たようなストーリーラインだろうがよ」と返すと笑ってくれた。大阪の民としては、やはり相手をどれだけ笑かせれるかにトークの価値がかかっている。出だしは悪くない。とりあえず、まだ4月だが今年一番のアニメは「チ。─地球の運動について─」で間違いないと強く推しておいた。私はこれを見るために、ずっと渋っていたabemaプレミアムについに入ってしまったほどだ。

shankやbrisketといった、馴染みのない肉の英単語を目の前に愕然する。肉の英単語はmeatしか知らんのよ。

 食事を終えた後、ソルロンタンの店の二、三軒ほど隣にあるタピオカジュース屋へ。いや、タピオカって結構重めのデザートよ? ご飯食べた後に皆まだタピオカ飲むの?? ──もはや人間の、個としての強靭さが違うのを感じる……。
 ちなみにタピオカジュースは「bubble tea(バブルティー)」、音が略されて「boba(ボバ)」とも言うのかな。これまた発音が良すぎて、最初何のことを言ってるのかわからなかった。
 タピオカジュース屋には、日本のお菓子やら見慣れた袋麺やらが陳列されていて、おまけに入口付近のクレーンゲームから「lavan Polkka」が聞こえて……、まだアメリカに来た実感がなく、なんだか心が覚束ない。

Wyndham Garden Newark

 これが今回泊まるホテルだ。5日間お世話になる。私の住んでいる激安アパートとは比べ物にならないくらいいい部屋だ。どちらもユニットバスであることに変わりはないが、うちのアパートは照明と換気扇のスイッチが一体型になった古代文明のロストテクノロジーである。
 スーツケースを開けて、用意したものを取り出していく。さてここで、事前に用意してきたものと、実際には必要がなかったものをリストアップしておくことにする。次回訪れる際に、ここを見れば私が思い出せるだろう。

持ってきてよかった
・ルームウェア
・スリッパ(ホテル用)
・使い捨て歯ブラシ
・spotify premium
・ノートとペン
・ウェットティッシュ

いらなかった
・ESTAのコピー
・アナログ時計
・変換プラグ
・レインコート、折りたたみ傘
・足置き用ミニ脚立(機内用)
・水筒

持ってくるべきだった
・名刺
・カナル式イヤホン
・もこもこスリッパ(機内用)
・カミソリ類のコスメ用具
・雨用のフード付きパーカー
・ファブリーズ

 実際には、ホテルにボディソープや化粧水なども常備されているので、持っていかなくても大丈夫かもしれないが、合う合わないが大きく分かれそうな物は念のために持って行ったほうがいいだろう。ドライヤーも備え付けられていたが、ベッドサイドで髪を乾かしながらダラダラ過ごしたいなら持っていくのがいい。
 浅いバスタブとwifiの設定に悪戦苦闘しながら、この日を終えることとなった。寝具が変わるだけで寝られなくなるようなデリケートな精神でもないので、懸念していた時差ボケは一切起きなかった。

滞在2日目:観光

 4月3日(木)
 朝9時にホテル前まで迎えに来てくれるということで、一時間から身支度を整えて朝食を取ることに。エントランスの突き当りにバイキングがある。好きなものを好きなだけ取っていいようだ。シリアル、フルーツ、ベーグルにブリトー。でも、せっかくワッフルメーカーがあるのだから、自分でワッフルを焼いてみるのが一番楽しそうである。
 うきうきしながら、原液を機械に流し込む。一枚丸ごとは食べきれそうにないのでハーフで作る。機械から音が鳴り、すかさず受付のスタッフが様子を見に来る。どうやら蓋を閉めた後、ひっくり返さないといけなかったらしい。
 ワッフルを食した後、リプトンの紅茶を自室に持ち帰り、ゆったりと寛ぎながら約束の時間を待つ。ほどなくして、その時はやってきた。

所要時間は2分ほど
このフォークのクオリティたるや

 迎えの車には、スティーブンを含んで3人がすでに乗車していた。運転手のスタンリーと、日本語が少し話せるルナである。ルナはVegas Dragon Mahjong Clubの会長であり、私が英語での会話に詰まった時に助けるため同伴してくれているようだ。この4人で向かう先はかの有名なゴールデンゲートブリッジ。車で行けども、しばし長い旅路となる。その車内で会話に困らないように、スティーブンが話のネタを振ってくれる。が、その一番手が「ベイクドモチョモチョ」とは思いもよらなかった。ちなみに私は御座候派閥の民である。

 車が湾曲した道を進んでいく。斜面を登り、いよいよ目的地が近い。日本の山と何か違うかと尋ねられて、私は「木が少ないように感じる」と答えた。すると、サンフランシスコはもともとほとんどが砂漠で、植林をすることで居住区域を開拓してきた歴史があるとスタンリーが教えてくれた。

橋の真正面にある要塞跡地

 さて私はこの橋を見ながら、ずっと拭えない違和感を抱いていた。それが何なのかずっとわからなかったのだが、帰国後に写真を整理していて、ようやく判明した。

 ──この橋、もっと赤くなかったっけ?

 私の中のゴールデンゲートブリッジといえば、フルハウス──この一択に尽きる。学校から帰ってきたら、欠かさず見ていた。今では考えられないほどの豪華な声優陣だったことも印象深い。コメディとしての誇張表現は多々ありつつも、私にとっては海外の生活を知る貴重な情報源のひとつだった。中でも長女DJの腐れ縁であるキミーが好きだった。あの女は両手に一足ずつ靴を持って「どちらが今着ているドレスに似合うと思う?」とDJに尋ねる。DJが呆れた顔で「それどっちも私の靴じゃない」と答えると、一切悪びれることなく「だからアンタに聞いてんじゃない」と返す女なのだ。絶対に友達になりたくないが、あの拗れた水平思考が私はとても好きだった。
 気になって色々と調べてみると、そもそも赤色ではなく「インターナショナルオレンジ」という色らしい。海水の塩を含んだ霧によって錆びるので、保全のために定期的なコーティング作業を要する。観光地として名高い場所だが、塗装の理由が霧の中で運行する船の視認性を上げるという安全性のため、わびさびメンタルでほったらかしにはできない。

 橋を通り抜けると、車は美しい街並みに進んでいく。一目見てわかるように道の傾斜が凄い。その傾斜にも関わらず、秩序を守って駐車された車の数々。街並みよりそちらに思わず見入ってしまう。
 ちなみに、私がドラマで見たような家はピンタリディー(Painted ladies)と呼ばれ、また別のエリアにあるとのことだったが、観光ルート上、割愛することとなった。

フィッシャーマンズワーフ

 次に訪れたのが、フィッシャーマンズ・ワーフ。ここも観光地として有名だろう。ルナに「Sea lionって日本語でなんていうんですか?」と聞かれ、アシカが咄嗟に出てこない。英語どころか、日本語のボキャブラリーも残念な状態である。
 土産物屋が所狭しと立ち並ぶ。真珠とか売ってるのか。などと考えつつ、施設の一番最奥に進んでいく。アシカがいるらしい。そしてこのアシカのいる海から、かの有名な「アルカトラズ」を遠目から見ることができた。実をいうと、サンフランシスコで一番に見たい施設だったんだよね。宝くじが当たったら、「在るが取らず」という名前の面前縛りの雀荘を作りたいほどだ。

 昼食をここで取ることになったのだが、私には出国前にお客様のひとりから教えてもらったオススメの食べ物があった。そのうちのひとつが「クラムチャウダー」である。他にも「クラブケーキ」なるものがあり、残念ながらそちらは巡り合うことはできなかったが、ひとまず無事にクラムチャウダーにありつけることとなった。──が、問題はその量よ。

大きなパンをくりぬいて、その中にクラムチャウダーが入っているわけなのだが、器として使っている部分のパンは基本食べないらしい。小麦の生産量が多い国だからこそ許される贅沢だ。

 食後、ゲームセンターを覗き見る。うわあ、お洒落だ! カラーリングがもう本当にアメリカ!って感じで凄くいい。中でも目を引いたのが、VRのシューティング。ちょっと試したい気持ちはあったけど、案の定、画面酔いするらしい。
 クレーンゲームで取れるのは、ぬいぐるみかチケット。チケットはある程度集めるとカウンターで景品と交換できるようだが、交換するために必要なチケットは日本のゲームセンターを彷彿とさせる過酷な課金ゲーである。

 この場所を離れる前に、いくつかお土産屋さんに立ち寄る。特に凄かったのは、キャンディーショップ。リンツのチョコレート店よろしく、キャンディーの樽が並んでいる。味のバリエーションも豊富だ。日本のアニメコラボの商品もいくつかある。
 物販の方は、サンフランシスコの地名が刻まれたパーカーやキャップなどがある。こういった品物をお土産にできたらと思うものの、いつも私には選ぶ自信がない。誰かに何かを渡すときは、必ず情報収集から入る性質だからだ。特にお菓子などの消耗品ではなく、手元にいつまでも残る品物を、「自分が気に入ったから」という無邪気な理由でプレゼントできる人をいつも羨ましく思う。店内を物色していると、人名入りのキーホルダーを発見した。日本でもよくあるお土産のひとつだが、このキーホルダーの凄いところは点滅しているということだった。動画で撮っておけばよかった。
 

チャイナタウン

 観光時間はまだまだたっぷりある。次に向かったのはチャイナタウンだ。日本にもチャイナタウンは存在しているが、規模が違う。この都市の一部として形成され、完全に溶け込んでいるため、ここを巡らねばサンフランシスコを観光したことにはならない、そんな気さえする雰囲気なのだ。

 運転役のスタンリーがこの辺で勤務しているらしく、街の事情に詳しかった。あの店のパンが美味しいとか、りちお先生へのお土産を買うならこの店がいいとか、何かと世話を焼いてくれる。口調こそぶっきらぼうなのだが、懸命に私の観光に付き合ってくれるのだ。とてつもなく可愛いツンデレキャラのため、PMLではマスコットとして愛されているらしい。
 歩き疲れたのでお茶を飲みたいと強請ると、彼の知り合いの店に案内された。茶葉を購入するために試飲させてくれるお店のようで、試飲だけなら無料なのだが、無料というには気前が良すぎるくらい試飲させてくれる。
 お茶を飲みながら、スタンリーのスマホで麻雀を視聴。プレイヤーの一打一打について、あれやこれやと二人で語る。ああ、いいなこういうの。学校帰りに友達んちでゲームしてる気分だ。話を聞いていると、彼はかなりデジタル雀士のようだ。Twitterで@nisi5028氏の何切るシミュレーションを頻繁にチェックしているらしい。他にも彼は、日本のプロ雀士の情報に精通している。りちお先生の発信量に驚いていたが、りちお先生のことを知っているスタンリーに私は少し驚いた。

中央に観音様らしいオブジェがあるのが、見えるだろうか? 店のオーナーは「日本人なら鉄観音を知っているだろう?」と私に尋ねたのだが、鉄の人といえば、サッチャー首相とアイアンマンしか思い当たらない。

ジャパンセンター

 次に訪れたのはジャパンタウン。タウンと呼ぶには小さいため案内板には「ジャパンセンター」と書かれていたが、日本のものが集まったその区域を案内役の彼らは「ジャパンタウン」と呼んでいた。和食のレストランや、抹茶ドリンクの店のほか、紀伊国屋書店やガチャガチャまである。やはり読書家の端くれとしては、書店のラインナップは気になるところ。

  紀伊国屋の2階は文芸書や参考書などが陳列されていたが、1階は漫画で埋め尽くされている。ベルセルク、セーラームーン、この辺りのメジャーな作品としてゴールデンラインに配置されているのは当然なのだが、BLとか百合の、それもかなり最近の作品も置かれている。一番目立つ店頭の平台に新井すみこ先生の「気になってる人が男じゃなかった」が山積みされていた。いい漫画置いてるじゃないか……この先生の緑と黒の使い方は、何度見ても綺麗よな。
 抹茶ドリンクを購入して一息ついていると、ルナが「フルーツバスケット」の別冊を購入していた。懐かしいな! はとり先生が好きだったわ……。能力系の作品において、記憶を操作できるタイプってヤツは、いつも悲しいエンディングを辿るよな……。

のれんがほとんど見当たらないレストランエリア「味覚のれん街」もかなり良かったが、個人的には麺類の全てを「PASTA」で押し切るこの掲示板が優勝である。

その後

 チャイナタウンでお茶を飲んでいる頃、すでにルナと私は麻雀がしたいと感じ始めていた。そもそも麻雀大会に集まった人間だけで構成されたチームなのである。頭数が揃っているなら、麻雀したいに決まっている。
 ここから記憶が少し曖昧なのだが、たしかジャパンタウンを一通り見終わった後、夕食までの時間を潰すため、麻雀大会の会場であるPacific Mahjong Leagueの施設に行ったような気がする。ボロ勝ちした記憶だけは残っている。最高位戦ルールで役満を上がったわけでもないのに7万点かっぱいだ。思えば今回の遠征で最も手がノッていた時であろう。なぜ私はここで運を使ってしまったのか。悲しい。とはいえ、私がボロ勝ちした理由には列記としたわけがある。それは次の日の内容で語ることにしよう。

 夕食は車で20分ほど移動した先にある豪華な中華料理店だった。大きな円卓を、私を含めて10人の人で囲む。「麻雀でどんな役満をあがったことがあるか?」という話題で盛り上がる。私は先月、面前の四喜和ツモリ四暗刻をあがったばかりだ。役満の写真をあまり撮らない私だが、あまりの珍しさゆえに撮影した。まるでこの日のこの話題のために誂えられたかのような写真となった。みな一様に、思い入れのある写真をスマホに保存していて、どの国でも雀士のやることは変わらないなとほっこりする。

入口のいけすにロブスターがいたようで、どれを調理してもらうか楽しそうに選んでいた。

 時折スタンリーが店員さんに英語ではない言語で注文している。ということは、中国語(北京語)ではなく広東語なのであろう。実はチャイナタウンで、彼はオススメのパン屋さんで私にパンを買ってくれたのだ。「謝謝」と私はお礼を伝えたのだが、「僕はその言語は使わない」と返ってきた。私の耳では二つの言語の聞き分けが全くできないが、中国語圏の民からすると全く別言語のようだ。私が大学で2年ほど学んだ北京語は4つのアクセントしかないが、広東語は9つも駆使するらしい。そして私は彼にお礼を言い直すため、帰国までの間、広東語のお礼の方法をyoutubeで勉強することになる。

滞在3日目:お土産

 4月4日(金)
 「観光したいですか? それとも麻雀したいですか?」とルナに聞かれて、麻雀と答えてしまった。せっかくのサンフランシスコだよ? 観光した方がいいんじゃない? そもそも週末のトーナメント戦で、2日間も麻雀できるじゃない? しかし一般的な判断とは裏腹に、口は素直に「あとやることはお土産を買うことだけだから」と動いていた。一般人でなくて結構。麻雀狂だから麻雀がしたい。

 お土産を買う前に、朝食を取ることに。この日の朝食はホテルのバイキングを利用しなかった。なんでも、アメリカらしい朝食が食べられる場所に連れて行ってくれるらしい。
 どの飲食店もそうなのだが、アメリカは基本的に自分でメニューを細かくカスタマイズしなくてはならない。なのでメニューの量が膨大である。選択肢が14個以上になると、しがない雀士の私には選ぶのに時間がかかる。

一番右のハッシュドポテトが最もクラシックな朝食とのこと。「ホットケーキも食べる?」と聞かれて、安易に返事をしてしまったことを後悔している。シロノワールのノーマルサイズを頼んでしまった気分だ。

 ちなみに、この観光において今のところ私は食事代を負担していない。ゲストだから、という立場もあるが、もう一つの理由が大きい。アメリカでの飲食の支払いはアプリを利用するのが通例で、レシートに記載されたQRコードを読み取り、各自食べた料理の代金を支払っているようなのである。アメリカ限定のアプリのようだが、便利そうなので日本でもいずれ普及すればいいと思う。

 お土産を買うためにやってきたのは、スーパーマーケットとしておなじみTRADER JOE’S。関西でいうところの、ライフにみたいな店だ。ここでスタッフへのお土産を物色する。
 店内を見て気付くのは、最小ロットの大きさである。わかっていたけれど、ベースとなるサイズがそもそも大きい。ワインや調味料など、個人的に欲しいものはたくさんあった。しかしそれらを買ってしまうと、スーツケースに収まる予感がしない。今この時もなお、お店に遊びに来てくださっているお客様ならびに働いてくれているスタッフのおかげで、私はアメリカに来ることができたのである。彼らへのお礼が先決だ。お菓子とチョコレートとコーヒーをカートに入れてレジに並ぶ。袋は持っていたけれど、ルナがこの店のオリジナルバッグを私に買ってくれた。やはりカラーリングがアメリカらしくて可愛い。

 朝食というには量が多すぎたブランチをすでにとり終えているため、昼食は割愛してPMLに向かう。今日はこのまま夕食まで麻雀漬けとなる。
 さて、明日はいよいよトーナメントである。できる限り、対戦相手の情報が欲しい。麻雀を打ちたい気分もあるが、対局を後ろ見したい気分もある。ギャリー・スタンリー・ルナ・スティーブンが卓を囲むというので、私はルナとスティーブンの間に座る。我鷹さんのポジションだ。鞄からノートを取り出し、対局内容をメモする準備を整える。東1局、ドラ4p、スティーブンが第一打を切ったところで牌姿を書く手が止まる。──これは……先に牌効率を叩き込む必要性があるようだ。
 明日は大会だ。対戦相手を鍛えることは、私の敗北率を上げることになる。そんなことはどうでもいい。目の前にいるプレイヤーたちに、一打一打に対する思考を伝授し、今よりさらに深く麻雀の魅力に没頭してもらいたい。今日は金曜日か。どうせ日本にいたとしても、麻雀の先生をやっている曜日だ。余暇を兼ねているとはいえ、私のやっていることは世界のどこにいても私が私である以上何も変わらない。

 私はルナとスティーブンの手を交互に見ながらアドバイスを出す。
 ──親からのリーチだ。その下家にいて、もう自分の手を崩してしまうというなら、親の打点を下げるために一発だけは消しておけ。
 ──二軒リーチが入ったから、この手はオリろ。一枚切れとはいえ、安易に中を切るな。

 ──その結果、一発消しで食い流れた牌で親のスタンリーが四暗刻をツモる事態に(笑)
 私が鳴くと碌でもないことが起きるのは、日本でもアメリカでも変わらないようである。

 各々の手牌を開けて確認してみると、スティーブンが掴んだ一枚切れの中は北家の当たり牌だった。「もし自分が中を切って放銃していたら、親の四暗刻は存在しなかったのでは?」と彼は問うが、それはあくまでも彼から見た視点の物語でしかない。北家のギャリーの視点からは、「本来一枚目で鳴いておくべき中を見逃してしまった」とのこと。それら複合的な要因の全てを受け入れてなお、結果の是非は問えない。それほどこのゲームは運の要素が強く影響を及ぼすが、それでも「自分の選択をどこかのタイミングで変えることはできただろうか?」と、自分自身の行動を振り返えるプレイヤーは強い。自分の打ち方を変えている最中だと言ったルナも、今まさに強くなりつつある過程にある。二人とも麻雀が楽しくて仕方がない時期だろう。

 その後、PMLには多くの人が集まってきた。どうやらトーナメントの参加者は、大会前の練習としてこの場所を利用できるようだ。せっかくだから、まだ対局したことのない人と打ってみたいと希望を出し、私の希望を叶える形で3半荘ほど遊ばせて頂いた。日本にいる間、TwichでPMLの動画をいくつか見たことがある。その中で、私が一緒に打ってみたいと思っていたスカイとも卓を囲むことができて、勝敗はともかく大満足である。

夕食

 夜も更けてきた頃、PMLと私のホテルの間くらいにあるレストランへ向かう。現地に到着した頃には、この食事の席に参加する人数が20名ほどに上っていたのだが……どうやら割と普通のことらしい。日本でも、レストランの入り口には来店人数を入力するパネルがある。しかし待合人数が4を超えることは極めて稀だ。私はサンフランシスコに来てから、7以下の数字を今のところ見たことがない。
 ここで私はアブドゥルとレニーに再会した。私の国で会った二人に、今度は彼らの国で会うのは感慨深いものがある。

ハリーポッターでしか見たことのない食卓だ

 お酒を勧められたのだが、迷った。味は好きだが、サントリーのほろよいで泥酔できる私である。うっかりにでも醜態を晒すわけにはいかない。が、晩酌の席で勧められた手前、断るのも不躾だ。サングリアがあるらしい。よし、君の赤に決めた。
 しばらくすると、酒を片手に移動する者が現れてくる。この辺りは、日本の飲み会と似たようなものだ。私の隣に座っていたスティーブンの代わりに、もうひとりのスティーブンがやってくる。今日一緒に対局した中では麻雀が一番強いと感じたプレイヤーだ。明るく気さくで、ピアスが良く似合う。
 草間彌生の名前は、私の名前の漢字と一緒かどうかを聞かれた。どうやら彼は日本の難読漢字に興味があるらしい。そこから漢字の話題に繋がり、それぞれの名前の意味や由来へと広がっていく。日本語だけに限らず、何故彼らが言語というものに対してこれほどまで情熱を注ぐのか──ふと感じたその時、「言葉が通じなければJAVAで語ればいいじゃないか」といい感じに酔いが回ったスティーブンがワイングラス片手に笑う。そうか、彼らの多くはおそらくプログラマーなのだろう。そう考えると、合点がいく。

 その夜は、夕食を終えた後、再びPMLに戻って深夜2時まで麻雀をした。

滞在4日目:DAY1

 4月5日(土)
 いよいよ、今回の渡米本来の目的であるPML Riichi Mahjong Invitational 2025の開幕である。しかし読者には大変申し訳ないが、この先、今までの章のようなボリュームを期待しないでほしい。

 ──あまりにも運がなかった……っ!!

 反省点を含んでも、書けば3行で終わる残念な結果である。おそらく己の持てる運量の全てを天候に割り振ったらしい。観光は最高だった。それでも、大会の内容をできるだけ細かく記していこうと思う。

 まず大会のシステムは、2半荘行い、上位2名が通過するというトーナメント形式である。1日目は、同じメンツで2半荘という1セットを3セット行う。最低でも6半荘遊べるが、その3セットのうち2セットを上位2位という結果で終えなければ、明日のベスト24に参加できない。

1セット目

 そして最初の半荘。私の門面に座るレイチェルはかなりの高打点プレイヤーらしい。彼女が私の記憶に一番色濃く残るプレイヤーだった。染め手に向かう時の思い切りの良さがいい、という理由だけではない。彼女だけが積み棒込みの点数を申告する時に、「1000 becomes 1300」と申告したのだ。この点について、少し解説しよう。
 私はこのイベントへの出場が決まった時、点数申告がどのように行われているのか、何度も動画で確認した。すると、ほとんどの動画内で「1000 is 1300」と口にしているのだ。これはおそらく日本の「1000は1300」をそのまま導入した形なのだろう。しかし待ってほしい。英語と日本語は異なる文法である。日本の「は」は必ずしも主語を表すものではない。しかし英語の「is」は「=」を意味するものなのだ。1000は決して1300とイコールで結ばれる数値ではない。レイチェルが完全に正しい。こちらの表現を普及させるべきだと強く訴えたい……。そんな彼女の申告に聞き惚れながら私はというと、1半荘の1プレイヤーにおける平均的なリーチの数を打ったと記憶しているが、どれ一つあがった記憶がない。悲しい。ラスを引かなかっただけでもまだマシか。
 1セット目2回戦。レイチェルの先制リーチに対して、親の私が追っかけリーチ。タンピン三色確定のツモれば倍満の手だが流局。テンパイ形を公開して、「ちゃんと本手を作ってますからね!」アピールが精一杯である。オーラスを迎えてこの点差。ギャリーから6400以上を直取りで彼を3着以下に叩き落すルートしか残されていないが、それを易々と許すほど彼は弱くない。リーチ棒を出すことはなく、仕掛けであっさりと局を終わらせた。さあ、あと2セット、どちらも落とすわけにはいかない。厳しい戦いの幕開けである。

2セット目

 2セット目1回戦。正直、このセットが今回最も厳しかった。
 まず1回戦目ですら、私はラスを引いてのスタートとなったのだ。理由は、ジミーの内蔵ドラ3に放銃したからだ。 相手のテンパイ気配? わかるかそんなもん!まだ捨て牌の折り返し地点前やぞ!!(#゚Д゚) しかもオーラスは、トップ目のジミーが絶対安全圏内から2着目に放銃しての終了。何もさせてもらえん……。
 2セット目2回戦。1回戦目にラスだった私は、次の席を自由に選べるようだった。そこで私はトップ席ではなく、「トップの差し込みを受けてアガリ2着になった席」を選んだ。放銃で終わった席は運が落ちる。オカルトルールの発動である。その効力を発揮したのは、まさに東1局目。親の三色6000オールからのスタートである。
 それでもなお厳しい。オーラスを迎えて、麻雀牌の服が素敵な彼から、直取り3900点という過酷な状況。彼を1着順落とさねば、私の2位通過の未来が見えないのだ。そんな状況に割って入ってきたのが親のジミー。親のリーチだ。流局すれば連荘が約束されている親のリーチだ。しかし私の手元にはドラの南と役牌が対子。3900以上が約束されし手なのである。これを……これをオリねばならないのか……なんて辛いゲームなんだ……(´っ;ω;c `)
 しかしこの我慢が功を奏する。ターゲットの彼が親に放縦して着落ち。次局、私はあがるだけで良くなったのである。なんという僥倖! 3-6sの両面でんでんリーチを打つ。すかさず親が私に差し込み、対局が終了。かくして私の明日への挑戦権は、首の皮一枚のところで何とか繋がったのである。

3セット目

 さて、3セット目が始まる前に、少し会話があった。初音ミクが大好きなノエルという女性が「私の、麻雀は、うまくないから!」と宣言したのである。しかし私は雀士である。うまい奴ほどうまくないと言うのを、今まで散々見てきた。そして対局が始まってみると案の定である。点数申告はバッチリの上、押しの強さでトップを搔っ攫っていった。
 だが、彼女が自分を指して「うまくない」と表現したのも理解できる。彼女、押しが少々強すぎるのだ。それでも連勝しているのだから誰も文句は言えない。結果、私はこの場にいたもう一人の日本人であるアートと一騎打ちの形となり、彼にラスを押し付けたまま何とか2位でこの場を終えることができた。
 こうして私は、各1回戦の3着やラスという劣勢の中、かろうじて明日への切符を手にしたのである。ちなみに、アレックスが買ってくれたコーヒーのおかげで最後まで集中力を保てたことを書き添えておきたい。

 対局終了後、対局者のひとりであるアートと少し話をする機会を得た。彼は翌月5月にラスベガスで開催されるAMOS Festivalの関係者であり、ゆくゆくはラスベガスに自分の雀荘を立ち上げる予定とのことだ。アメリカと日本では何もかも異なるが、今年8周年を迎える健康麻雀店のマネージャーとして僭越ながら雀荘経営に対する見解などを述べさせて頂いた。ラスベガスに店ができた暁にはお祝いに行くと言ってしまった手前、またいつかアメリカに行くことになるだろう。

ご飯のこと

 大会の合間の昼食、そして大会終了後の夕飯として、私がアメリカに来た時にはぜひ食べてみたいと思っていた料理店へ両方とも行くことができた。それは、オレンジチキンで有名な「Panda Express」と、安くて美味いファーストフードの代名詞「In-N-Out Burger」である。私のわがままを、皆が最優先事項として取り扱ってくれた結果、連れてきてくれた。感謝しかない。
 特筆すべきことは、この店舗のPanda Expressは実際に中国人の方が調理をされているそうで、多店に比べて美味しいということ。そしてIn-N-Out Burgerはサンフランシスコを代表するレストランのため、一市民としてその存在を流布する義務がスティーブンにはあるらしいということ。

滞在5日目:DAY2

 4月6日(日)
 前日と同じように、深夜2時まで麻雀に明け暮れてしまうと、翌日体がもたない。そう判断した私は、クリスピーで香ばしいハンバーガーを食べ終えた後、夜9時くらいにホテルに帰らせて頂くことにした。サンフランシスコにて、その日のうちに眠りにつけたのはこの1日限りだっただろう。シャワーで体を温めて、ベッドでyoutubeを見ながら寛ぐ。そうか。広東語には2種類の「ありがとう」があるのか。明日の朝は、スタンリーに買ってもらったパンを温めなおして食べよう。それから、広東語でお礼を言うんだ。

 さて、2日目の戦いは1日目よりも厳しい。1セット目で2位までに残れなかったら即敗退だからである。そして連ラスを引いて即敗退したのがこの私である。運が悪かったなどと戯言は言わない。反省点が2つある。
 1半荘目:西家Wyattのリーチの後、ツモ切り牌のドラを親がポン。親の二副露がどちらもマンズで、タンヤオが濃厚なのだが、マンズの染めを完全否定できる捨て牌ではない。リーチ者の現物6pを切ったところで、親Pinecの12000に刺さる。
 2半荘目:最速テンパイが中バックしかなかった局で、親Wyattのトイトイと子のリーチに挟まれる。中のトイツ落としで親に刺さったが、どうせ刺さるなら親のトイトイに当たりにくい一枚切れの数牌を抜いて、子のリーチに刺さるべきだった。
 以上が、今大会の結果報告となる。私を送り出してくれた日本の皆に、記念となる賞を持って帰れず本当に申し訳ない。

Pacific Meal League

 PMLはPacific Mahjong Leagueの頭文字を取ったものだが、もうひとつ意味がある。それはPacific Meal League──つまり、美味い飯を食う会というわけである。むしろこっちが、人が集まる本来の目的なのかもしれない。美味い飯は敗北の悲しみをいつも癒してくれる。
 2セット目に進出できなかった者たちで中華料理店へ向かう。日本でも小籠包はあるけれど、小籠包の中の具材を替えるのは日本では珍しい。どちらかといえば、日本ではそれは餃子の役割だ。どの小籠包もとても美味しい。サンフランシスコへ到着したその夜、スティーブンは私に「アメリカは日本よりも美味しいものがない」と言ってはいたが、さすが現地の民たちは美味しい店をよく知っている。

オーダーする時に伝票を書く。個数を表記する際、中国・台湾・日本などアジアでは「正」の字を使うのが一般的だが、アメリカでは縦棒で書くようだ。「││」と表記すると、11と間違わないのだろうか?などと、余計な心配をした。

トーナメント結果発表

 大会のシステムについて、最後に少しだけ補足しておく。各半荘は60分+1局にて行い、時間と成績は各卓ごとに管理する。成績は各局ごとの収支をスマホで入力するため、各プレイヤーの和了率なども割り出せて便利である。たとえ点棒表示パネルとスマホの入力情報に齟齬があったとしても、その瞬間にタイマーを止めておけば良いので、日本のように足並みを揃えない大会だからこその効率の良さを感じた。
 決勝戦は5分ディレイによる配信対局。待っている間は、真剣に見るもよし、仲間と麻雀しながら待つもよし。見事優勝に輝いた彼女と、私は予選の時も同卓することはなかったので少し残念である。
 そして、会場はPMLから夕餉の席へと移動する──。

 ──時に、話は私がサンフランシスコに到着した日に遡る。空港から私をピックアップしたスティーブンが車の中で告げた。「トーナメント終了後の食事は、しゃぶしゃぶです」
 まさか異国の地において、最初に耳にする料理名が日本のものになるとは予想していなかった。実際には「Hot Pot」と発音したので、しゃぶしゃぶというより「鍋」が正しいだろう。鍋に薄切りの肉を入れて火を通せば、しゃぶしゃぶと言って相違ない。ただし日本と違うのは、ごまだれポン酢で頂く豚肉はなく、カスタムソースに付けて食べる牛肉の火鍋だ。

いい感じに火の通った肉や、自分の好きなものをスタンリーがこまめに私に勧めてくれる。「ドージェ」とお礼を言ってみると、「そっちじゃない」と言われた。広東語は難しい。

 広いフロアのほとんど全てを埋め尽くす人数で来店している。今宵がサンフランシスコで過ごす最後の夜となる。席を移動ながら、ひとりひとりに対し、できる限りこの度のお礼を告げて回る。写真撮影会とSNS交換祭の始まりである。
 私を招待することを決めてくれたPMLの長ことビーチェン曰く、一部のメンバーが7月に日本で開催するWRCに参加する予定とのこと。その後、2週目は観光に当てるらしいので、もしかしたら大阪にも来てくれるかもしれない。なおスティーブンは、PMLと当店の選りすぐりのプレイヤーを5名ずつ選出し、オンラインによる麻雀大会を企画中とのことである。この招待試合を機に、日米の麻雀交流が今後さらに深まっていく予感がある。

Hand and Brain

 さて、食事が終わった後、我々が何をしたか? ──そう、麻雀である。
 PMLの会場に逆戻りし、再び卓を囲む。ここで遊べるのは今夜が最後なのだ。時間いっぱい遊び尽くすしかない。
 最後に、少し趣向を凝らした方法で麻雀をすることになった。その名も「Hand and Brain」と呼ぶらしく、打ち手の後ろに控えるもう一人の人間が指示を出すのだ。出せる指示は「マンズ」「ピンズ」「ソウズ」「字牌」と、各種発声のみであり、どの牌を選択するのかは打ち手に委ねられる。打ち手と指示役の雀力さが体感できる面白いやり方なのである。

ギャリー(+その他大勢)に散々ツッコまれるスティーブンの図

 しかしこの麻雀を通じて、打ち手は指示役の思考回路を汲み取る練習をすることができる。つまり、今まで自分の中は存在しなかった戦術の引き出しを得ることができる、非常に優れた練習方法なのである。
 私がスティーブンの後ろに付いた時は、13sのカンチャンを外すタイミングに巡り合った。初歩の牌効率通りに打てば、6・7巡目という早さで落とすターツではなかったのだが、2sがすでに2枚落ちている以上、その時のうちに不要なブロックとして先に処理しなければ、先制リーチを受けた場合オリるしかなくなる。
 そうならないために先にカンチャン落としが必要なのだが、「一体それをどのタイミングで判断するのか……」という彼が眉をひそめながら呟く。私が何か言葉を添えること簡単だったが、何も言わなかった。強くなる過程が一番楽しいから邪魔をしたくないし、それに賢い彼ならば自らの力で答えに辿りつく日がすぐに来るだろうから。

 最後に改めて、本イベント「PML Riichi Mahjong Invitational 2025」にゲストとして私を呼ぶことを決めてくれたビーチェン、仲介役として手間を惜しまず連絡してくれたスティーブン、並びに快く迎え入れてくれたPMLの皆様に深く感謝申し上げます。
 また何より、私がこの地に来ることができたのは、日々当店を支えて頂けるお客様とスタッフの尽力あってのものです。重ねて感謝を表すると共に、本稿を締めることにいたします。
 ここまで目を通して頂きまして、誠にありがとうございました。

2025年4月20日
近野弥生(Yayoi Chikano)

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